2020年11月25日

小林麻耶

11月12日の『グッとラック!』(TBS系)降板以降、小林麻耶(41)は、“スピリチュアル夫” こと整体師のあきら。(37)とYouTubeで異様な配信を続けている。孤立を深める夫婦を、支える身内もいないようで

「かつては、市川海老蔵(42)宅に足繁く出入りしていた麻耶ですが、結婚を機に、一家とは距離を置いています。

 一方の海老蔵も、2020年1月に放送された密着特番の撮影の際、制作側からの『ぜひ麻耶さんにも出演を』という提案を断わったそうです。そのころ、すでに麻耶夫婦と海老蔵の間には隙間風が吹いていたのでしょう」(芸能関係者)

 麻耶が結婚前から同居し、2020年4月にはテレビ番組で共演するなど、仲がよかったはずの実母は現在、婿である海老蔵宅に“避難” している。

「孫の世話のためでしょうが、麻耶さんが結婚後、同居することになったあきら。さんとの関係に悩み、お母さんは家を出たとも聞きます」(麻耶の知人)

 本誌は海老蔵宅から出てきた麻耶の母親を直撃したが、無言だった。2人ぼっちで、夫婦はどこを目指すのか。

(週刊FLASH 2020年12月8日号)
ラベル:小林麻耶
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2020年11月17日

NiziU 紅白初出場決定

NHKは16日、大みそかに放送する「第71回NHK紅白歌合戦」の出場歌手を発表した。12月2日に待望のデビューを果たす9人組グループ「NiziU(ニジュー)」が史上最速出場の快挙を達成。これまではWaTが2005年にデビューから1カ月29日で紅白の舞台に立ったが、新時代のグループが記録を塗り替えたようです

 体調不良で療養中のミイヒ(16)に加え、この日はマヤ(18)も欠席したが、マコ(19)が「マヤの分まで頑張りたいと思います。私たちの姿が本当に勇気を与えて、パフォーマンスの一つ一つが心に響くといいな〜と思っています」と愛くるしい笑顔で初出場への所信表明をした。

 しかし、前日の夜はスマイルではなく、涙だったという。出場の連絡を受け、リマ(16)は「最初聞いた時は、みんな、うるうるになって号泣してしまって。うれし涙を流しました」と明かした。

 NiziUは、ソニーミュージックと韓国の大手芸能事務所「JYPエンターテインメント」による共同企画で産声を上げた。1万人以上の応募があったオーディションを勝ち抜き、9人がデビューメンバーに選ばれた。プロデューサーのJ.Y.Parkからは「日本での活動も頑張って」と送り出されたという。

 プレデビュー作「Make you happy」はユーチューブでのミュージックビデオと「ビルボード・ジャパン」のストリーミング・ソング・チャートで、それぞれ再生回数が1億超えを記録。デビュー前から圧倒的な人気を誇り、「縄跳びダンス」と呼ばれる振り付けの“踊ってみた動画”が幅広い世代に広がった。

 リマは「うれしい気持ちでいっぱいですし、たくさんいい思い出を作りたいです」と胸を弾ませた。12月2日にはシングル「Step and a step」でデビュー。大みそかは「縄跳びダンス」と愛くるしい笑顔を届け、視聴者の心を明るく弾ませる
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2020年11月12日

岡村隆史

高校を卒業して大学への進学を考えていた、ある日。岡村隆史はサッカー部の後輩だった矢部浩之に誘われ、まったく選択肢になかった「お笑い芸人」の道を歩むことになる

それからちょうど30年。無我夢中で駆け抜けて、体を壊しても復活し、「土曜8時のヒーロー」としてお茶の間に愛された。時が経ち多くの人気番組は終わったが、つづく番組もある。いつしか相方と会うことは少なくなったが、それでもナインティナインはつづく。

岡村隆史が、走りつづけた30年間を振り返り、これからのナイナイを考える。

賞レースに命を懸ける芸人のようにはできない
――先日『ぐるナイ』で15年ぶりにコントを披露しましたが、手応えはいかがでしたか?

正直、全然やりたくなかったんですけど(笑)、なんでかわからないですけど、スタッフさんってみんなネタやらせたがるんですね。『めちゃイケ』のときはテツandトモのパクリネタで逃げましたけど。

もうネタで勝負してないのでね……『キングオブコント』とか『M-1』とかが盛り上がってるなかで、みっともないことやりたくないなあっていうのが本音やったんです。でも、どうしてもやってほしいって言われたので……。

お客さんが入ってるわけでもないし、観てるのはスタッフさんばっかりやったんで、忘年会でネタやらされてるみたいな空気になってしまったんですけど(笑)。タモリさんに観ていただいて、「俺は好きだよ」って言ってもらって、あれですべて成立させていただいたなっていう感じでしたね。

――岡村さんがやりたいネタは別にあったそうですね。

僕がやりたかったのは、8回目の『ナイナイライブ』でやった20分以上あるコント。弁護士なんですけど、盗撮容疑で捕まったおっさんがのらりくらり逃げようとして息子と会話するっていうネタ。ちょっとあれはテレビじゃ無理やなって。

2〜3日前から久々に、変な緊張がありましたね。なんでこんなことせなあかんのやろ、ほかにおもろい人おるで、って思っちゃいました。

――準備はどれくらいされたんですか?

結局2日くらいですかね。当日ちょっと合わせて、もういけるかなって。基本、ふたりとも稽古キライなんで(笑)。昔、1回目の『ナイナイライブ』のときに稽古し過ぎて本番では飽きてしまって、楽しくやれなくなってしまったんです。全部ガチっと固めて一言一句やってしまうと、自分らが飽きてしまう。もうなんとなくいけるよなってなったら、あとはフワッとさせておく。

これは別にテクニックとかじゃなくて、自分らが普通にちょっと笑ってまいそうな感じとか、ほんまにイラッとするような感じの部分を残しとくほうがいいタイプなんです。みっちりやらないでお互いに「大丈夫やんな?」「おう」って感じで。

――やり終えたときは充実感みたいなものはありましたか?

「終わった終わった! ちゃんと終わったで! あとはタモさんとしゃべろう!」っていう(笑)。今、みんな賞レースに命懸けてやってんねんなあと思うと、大変やなってほんま思いますよね。僕らは正直、ウケようがスベろうが自分らでフォローすればいいんですけど、やっぱり審査員の方々がいてお客さんがいてネットの人たちがいてとなったら、そら大変なことですよ。

■屈辱だった「ボケるなら手を挙げろ」

――『ぐるナイ』は26年つづいていますが、岡村さんにとってどんな存在ですか?

『めちゃイケ』は“「笑い」を教えてもらう学校”みたいな部分があったんですけど、『ぐるナイ』は“「テレビ」というものを教わる場”でしたね。『天然素材』からやらしてもらって、みんなまだあっちこっちでボケてギャーギャー言うてるなかで、総合演出の方に「カメラが向いてないところでボケたってしょうがないんだよ!」って怒られたり(笑)。

すごい屈辱的なことも言われましたよ。「ボケるんだったらカメラ向けるから手挙げろ!」って。最初は「ゴチ(になります)」も、ただごはん食べてるだけやと思ってたんですけど、「値段を当てる」っていうのはやっぱりテレビ的やったし、テレビってこういうことなんですよっていうのを『天然素材』から始まって、『ぐるナイ』で教えてもらった気がしますね。

ハンディ(カメラ)1個でいろいろやるのも『ぐるナイ』のほうが早かったですからね。ハンディさんとのやりとりとか、どうやったらおもろなるかって教えてもらったのは『ぐるナイ』のほうが先。『めちゃイケ』で、うしろ下がったり前出たりするのも、実は『ぐるナイ』で学んだこと。そこからよりスキルアップさせてくれたのが『めちゃイケ』でしたね。

――「ゴチ」はいわゆるグルメ企画ですが、初めて聞いたときはどう思われましたか?

1コーナーでしたからね。いろいろ試行錯誤しながらゴールデンになって、あれやりたい、これやりたい言うていろいろやらせてもらいましたけど、やっぱりなかなかお茶の間に届かない時期があって。自分の中ではただの1コーナーやと思ったんですけど、視聴率がすごい跳ね上がったんですよ。

時々、テレビでメシ食うだけでええのかなと思ったりもしたんですけど……でもテレビって観てもらってなんぼやし。僕だけまだカツラを被ってるのは、これはグルメ番組じゃなくてバラエティなんだっていう意識があるからなんです。最初のころは全員被ってて、でもみんな「うっとうしい!」ってなってやめたんですけど、そうするとほんまに「ごはん食べてるだけ」になってまうでしょ。

応援団が「ゴチになります!」って言うところから始まってるから、そこだけは自分の中でちょっと残してるんです。これはバラエティの1コーナーから始まったんだっていうのを忘れないために。今や「なんで岡村だけ?」とか、悪ふざけしてんなって思ってる人が大半やと思うんですけど。

「ゴチ」がなかったら『ぐるナイ』は終わってるかもしれないですよね。ヒット企画が生まれたことでまだ番組もつづけていられるんだっていうのは本当に思ってますね。

――『ぐるナイ』では「おもしろ荘」も人気企画ですが、若手の芸人さんのネタを観る上で気をつけていることなどはありますか?

いつもお願いしてるのは、あんまり正統派は出さないでほしいと。ばっちり「うまい」漫才やられると、おもしろいんですけど「おもしろ荘」ってそうじゃないような気がしていて。「おもしろ荘」は1位にならなくても、インパクトさえ残せばいい場所ですから。

だから担当のディレクターさんには、正統派じゃなくて、漫才でもちょっと“飛んでる”というか、いろんなタイプの人を入れてほしいっていうことだけはお願いしてます。音楽使うのをひと組入れようとか。僕から「大阪にこんなおもろい人いるよ」って紹介することもあります。僕がおもろいと思ってるだけで、あんまりスタッフに響かないこともあるんですけど(笑)。

■もしも「お笑いの教科書」があるなら

――『めちゃイケ』と『ぐるナイ』で、何か差別化のようなことは考えていましたか?

いや、そんなに……。昔のゴールデンって2日使って撮ってたので、『めちゃイケ』2日、『ぐるナイ』2日で、もう毎週4日は埋まってる状態でした。月曜『ぐるナイ』やって火・水『めちゃイケ』やって、金曜か土曜にまた『ぐるナイ』。その合間にほかのお仕事して。

けっこう大変でしたけど、『めちゃイケ』がガチコーン!とやってるときに『ぐるナイ』で国分(太一)とカブトムシ採りに行ったり、好きなことやらせてくれましたね。でも、罰ゲームだけでいうと、『ぐるナイ』のほうがエグかったかも。

『ぐるナイ』のカブトムシ企画は終わっちゃったんですけど、この間、『ザ!鉄腕!DASH!!』観てたら、国分がニノ(二宮和也)とか連れてカブトムシ採ってたんです。国分、昔は虫とか一番ビビってたのに、「おい、ニノ!」とか言って、リーダーみたいに振る舞ってましたね(笑)。

――『めちゃイケ』が終了して2年以上経ちましたが、終わった直後と今では何か変わりましたか?

『めちゃイケ』が終わっても、まだなんかあるんちゃうか思ってて。濱口(優)も「岡ちゃん、なんかあるよな?」って。もしかしたら突然変な企画を始めるんちゃうかってずっと思ってたんですけど、2年経って、ほんまに終わったんやなあって思いますよね。

もし「お笑いの教科書」があるとするなら、『めちゃイケ』はそこに載れる番組だと思うんです。そんな番組をひとつ作れたかなっていう思いはあります。それを目指して、ずっと芸人やってきましたから。

番組が終わるとき、「やり残したことないよね?」って言われて、確かにないなと思って。新メンバーたちはもしかしたら、「もっとやりたかった」「やれることがある」と思ったかもわからないですけど、僕的には全部やったと思ってます。

――終わった直後は「燃え尽き症候群」のようにはなりませんでしたか?

番組が終わって、今となってはですけど……ホッとしたかもしれません。まだできるのにっていう気持ちもあったし、いろんな気持ちがあったんですけど、やっぱり次に進まんとあかんって。『めちゃイケ』が終わっても僕らは仕事をつづけなあかんし、いつまでもずっと『めちゃイケ』って言われても仕方がないので。このメンバーはみんなクールやから、そこはみんな同じやったと思います。

火曜と水曜にもうフジテレビ行かなくてええねやっていう、それがなんか不思議でした。レインボーブリッジ渡らなくてええねやって。

――習慣になっていたんですね。

そうですね。僕は収録がなくても呼び出されて、「今度こういうの考えてるんだけど」っていう打ち合わせとかもあったし、ただの世間話もたくさんして、「これは打ち合わせなのか?」っていう時間もいっぱいありましたから。でも(『めちゃイケ』総合演出の片岡)飛鳥さんのプレゼンがうまいから、やっぱり笑てまうんです。でも、それがなくなって……。しばらくは火曜・水曜は何も仕事は入れませんでした。

――スケジュールが空いた曜日には、具体的に何をしていたか覚えていますか?

何してたのかな? 「どっか行こうや」ってメイクさんとかスタイリストさんと遊んでたかな。キャンプとか、スノボとか。仕事じゃなくても何かしらで埋めてたと思います。バーベキューしたり。

――『めちゃイケ』メンバーのその後の活躍は気になりますか?

そうですね、みんなどうしてんねやろって思います。武田(真治)君とか、僕らがあんだけバカにしてた筋肉でのし上がってくるとは思ってなかったですから。ラッパと筋肉ってねぇ(笑)。でもね、やっぱり『めちゃイケ』をやってただけあって地肩が違うんやろな。どこ行っても「武田君っておもろいやん」ってなると思うし、雛形(あきこ)も「しゃべってもおもろいんやな」ってなるやろし。

ジャルジャルなんかは、もう劇場出なくてもYouTubeでじゅうぶんにごはん食べていけるでしょ。もうそんなことになってんねやなあと思いますよ。僕らが若手のころ「テレビに出たい!」って思ってた時代とは違うんやろな。自分たちなりの魅せ方をちゃんと理解してるんやっていうのを、ジャルジャルには気づかされましたね。

あとは、加藤浩次だけがひとり勝ちしたような……。エージェント契約勝ち取って、なんかひとりだけ、うまいことやってんなあって(笑)。

■「相方はなんでそう思ってるんやろう?」

――矢部さんのインタビューでは、「自分は先輩に負けるもんかと思うタイプで、相方は後輩に負けるもんかと思うタイプ」とおっしゃっていました。ご自身はどうお考えですか?

どうですかね……。療養から復帰してから思うことなんですけど、誰かと競い合うとすごくしんどい感じがするんで、あんまりそういう感覚はないですね。ただ、道を作っていただいたという思いはあるので、先人へのリスペクトは確かに僕のほうが強いかもわかりません。でもボケとして「第七世代に負けたくない!」っていうのは絶対に言うタイプです(笑)。言っておきたいっていうふうには思いますね。

――矢部さんに対して負けたくないと思う部分はないですか?

職種が違うのでね。僕はツッコめないし、進行もうまくでけへんし。相方に負けたくないって、なんで相方はそんなふうに思ってるかはわからないですが、僕はそういうつもりは全然ないですね。

――弱みは見せたくない、という思いもないですか?

いや、もうじゅうぶん見せてます(笑)。休んでたときもそうやし、今回のラジオの件もそうやし。そんなん、全部相方は見てるわけやから、今さら「相方に負けたくない」みたいなのは全然思わないですよ。

僕としては、誰かと競い合うことって40歳のときにやめてるんです。笑い取らなとか、20代30代のときはそんなん思ってぐわーなってるのがずっとつづいて、40になって休んで復帰して、それはやめようと。それで、だいぶポンコツになったってみんなに言われるんですけど。

僕らが若いころは、真剣の刀を振り回してる先輩がたくさんいたものですから、そういうのを避(よ)けながら30年やってきて。僕なんかはもう、自分で自分の胸を刺してもうてますから(笑)。だから失敗もしてしまうけど、ちゃんと反省して、謝って、また改めて出直してしっかりやっていかなあかん人間なんやろなあと思ってます。
ラベル:岡村隆史
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