2021年02月10日

おのののか

最近、ネットニュースでも、ご自身の周りでもなんだか結婚報告をよく聞く気がしませんか…でもコロナ禍真っ最中なのに??実際のデータ、男子の本音座談会、2020年に結婚したカップルの話を元に“コロナで男子の結婚観が変わった”らしい説について調べてみました。

おのののかさん・塩浦慎理さんご夫妻も2020年のコロナ禍を経て結婚したカップルです!

‘20年2月に交際をスタートさせ、4カ月後の6月にプロポーズ。まさにコロナ禍のなかで愛を深めたお二人に、出会いから結婚について語っていただきました。

「出会いから結婚までタイミングがよかったんです」(塩浦さん)

〈おのさん〉ロングドレス¥89,000(ディーネロ/DOUBLE STANDARD CLOTHING /フィルム) 靴¥95,000(SergioRossi /セルジオ ロッシ カスタマーサービス) イヤリング/スタイリスト私物

──お二人の出会い〜交際について教えてください。

塩浦 ’19年の9月頃、共通の友人を交えた食事会で出会いました。でも彼女が来ることは知らなかったんです。グループLINEも本名だったので彼女とはわからず、“女性も来るんだな”という感じで(笑)。第一印象はよく食べるいい子!テレビで見ていた時のイメージとは違って、“普通の女の子っぽいな”と思ったんです。

おの 私は…彼はこんな髪型なので(笑)、変わってそうだなと思ったんですけど、焼肉をずっと焼いてくれていて“いいヤツ”という印象でした。

塩浦 その後もグループで食事をするようになりました。

おの 二人で連絡を取り合うようになったのは私がラジオのお仕事を始めたのがきっかけなんです。

塩浦 僕、純粋にラジオが好きで。毎回聴いてアドバイスしたり、番組にハガキも送っていました(笑)。

おの 毎回感想をくれるので「あれ、もしかして?」と私のほうが意識しちゃって。そんなある日、ラジオで失敗して落ち込んでいたら「飲みに行こう」とたまたま連絡をくれて。

塩浦 でも自分から誘っておいて、僕がお店で2時間寝てしまったんです…。ただ、「今度はお酒なしで話したい」という気持ちになりました。

おの それからはみんなで会ったり、二人で会ったり、という感じです。

塩浦 忙しいなか、大会を見に来てくれたりもしたので「好かれているかも?」と感じていました。ただ、この時期は水泳にフォーカスしていたので、恋愛のことは正直、考えていなかったんです。

おの 彼は本当に水泳ばっかりで、関係に変化もなかったので、2月頃、私のほうから「私は好きなんだけど、どうしよっか?」って聞いてみたんです。

塩浦 その時には僕も好きになっていたので「付き合おう」となりました。

「今までとは違い、自分からきっかけをつくりました」(おのさん)

──結婚を決めたきっかけは?
塩浦 本当にタイミングですね。コロナがなければ、付き合った直後も日本選手権に集中していたはずだから、どうなっていたかは…。結局コロナの影響で大会が中止になって一緒にいる時間が増えたのですが、居心地がすごくよくて。「結婚しない理由がないな」と思ったんです。

おの 2月末にお付き合いを始めて、プロポーズは6月でした。なので交際期間は4カ月ですね。短い(笑)。

塩浦 でも本当にタイミングがよかったからね。ご縁があるなと。

──結婚してよかったことは?
塩浦 毎日楽しいですし、競技に向かう新しいモチベーションになっています。

おの 家に人がいることが温かくて幸せです。今までは365日外食でお酒を飲んでいる生活だったんですが(笑)、朝早く起きて家でご飯を食べていたら、体型も肌もキレイになって健康的になりました!仕事の相談相手ができたことも嬉しいです。

塩浦 家での食事が増えたんですが、彼女がアスリートフードマイスターの資格を取って、めきめき料理が上達しているんです!

──コロナ禍で結婚を考えている人にアドバイスはありますか?
塩浦 もし結婚を考えている相手がいるんだったら、結婚しちゃえばいいと思います!勢いも大切です。

おの 私自身、今までの恋愛は受け身なことが多かったんですが、今回はお付き合いも結婚も自分できっかけをつくって幸せになれたと思っています。女の子からきっかけを作ってみるのもいいのではないかと思います。


N o n o k a O n o ‘91年生まれ、東京都出身。“東京ドームビール売り子No.1”として一躍人気に。以降様々なバラエティ番組に出演し、飾らないキャラクターで人気を集める。現在は、女優、ラジオパーソナリティと幅広く活躍の場を広げている。

S h i n r i S h i o u r a ‘91年生まれ、神奈川県出身。競泳東京五輪代表候補。イトマン東進所属。’16年リオデジャネイロ五輪出場。50m自由形アジア記録保持者。練習やレッスン動画、試合の裏側やお勧めのカフェを紹介するYouTubeも話題。
ラベル:おのののか
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2021年02月09日

松本まりか

約1か月にわたり随時掲載してきた「今年の顔」。20人目となるラストを飾るのは女優の松本まりか(36)だ。18年のテレビ朝日系ドラマ「ホリデイラブ」での“怪演”で一躍ブレイクし、デビュー20周年の昨年、さらに大きくステップアップ。「全速力で走りきった」と仕事に没頭した1年を経て、21年は「一つ一つのお仕事と丁寧に向きあって、一回一回感動していきたい」と新たな自分自身への出会いに胸をときめかせているそうです

 20周年の節目となった昨年は、コロナ禍にもかかわらず連ドラ4本、写真集発売に加え多くのバラエティーからもオファーが絶えない活躍。息つく間もない忙しさだった。「去年の、特に後半はすごく猛ダッシュだった。自分の中でやりきったって思えたのが、初めての感覚で。どんな結果にしろ、全速力で走りきったってことがすごく大事だったと思います」と振り返る。

 36歳での本格ブレイクを「遅咲き」という人もいるかもしれない。「ホリデイラブ」での演技が話題になるまで、自身の芸能人生は葛藤の連続だった。「お仕事はとっても少なくて、1個1個のお仕事だけが私の生きがいだった。役をやっているときだけが息の吸える場所で。でも現実的に、全然求められていないし『もうやばいな』と思ったことはありました。ずっと売れない世界を見て、すべて見きったな、と。『ホリデイラブ』の話がきて、売れる売れないとかじゃなく、役に恋するというか…。また生きる場所が与えられたと思いました」

 独特の声や愛くるしい表情が「あざとかわいい」と話題になり、今や松本の代名詞になった。「女性から嫌われがちな声や顔立ちがずっと自分のコンプレックスだった。でも、今女性からすごく熱く注目してもらえていて」。インスタグラムのフォロワーの大多数は20〜30代の女性。「このままの自分を受け入れてもらえたのがすごくありがたい。このまま生きていくしかないって開き直れたっていうのは、私が変わるきっかけだったのかなって思うんです」と語る。

 「『売れたい』とは思わなかった。でも『売れてる人と同じぐらい素敵(すてき)な人になりたい』と思い続けてきました」と松本。「この年になって人生が変わるミラクルみたいなことが起きるんだって。このあともそういう変化を楽しみたいし、でもそのためには自分がそれを超える自分になっていないと。すごいモチベーションになっています」と女優力だけでなく人間力も向上していくつもりだ。

 今年も作品のオファーは尽きない。4月期のフジ系ドラマ「最高のオバハン 中島ハルコ」では、怪演のイメージとは真逆の受け身の女性役を演じるほか、重厚な作品への出演も決まっている。「違う役どころを同時期に見てもらえるのはすごくうれしい。『松本まりかにミスキャストじゃない?』という役も『合いすぎだろ』っていう役も両方やりたい。去年の後半、猛スピードで駆け抜けたぶん、今年は一つ一つのお仕事に丁寧に向きあって、感動し続けたい」とさらなるステップアップを誓った。



 ◆葛藤受け入れる優しさ…取材後記

 忘れられない記憶がある。19年秋、写真集「月刊松本まりか 汀」のイベントを取材したときのこと。これまでの歩みを尋ねるような質問を投げかけたところ、松本が答えながら突然、涙したのだった。彼女の芸能人生に思いをはせて胸が苦しくなったし、同時に晴れの場で泣かせてしまったことを負い目に感じていた。

 今回「あの質問、実は私が…」と打ち明けると、松本は勢いよく立ち上がり「ずっと探してたんです!」と再会を喜んでくれた。「上っ面の言葉ではなく、あの瞬間一気に本音が出た。私にとっての突破口。よくぞ聞いてくれました」。彼女は苦しみや弱さもまっすぐに受け止め、それを魅力へ還元できる優しさを持っている。こちらが救われる思いだった。コロナ禍の今、みんなそんなに強く生きてはいられない。葛藤を受け入れる松本の生き方は、いま苦しんでいる誰かの背中をそっと押すはずだ。



 ◆松本 まりか(まつもと・まりか)1984年9月12日、東京都生まれ。36歳。中学生の時に原宿でスカウトされ、2000年のNHKドラマ「六番目の小夜子」でデビュー。映像だけでなく声優や舞台でも活躍したのち、18年、テレビ朝日系ドラマ「ホリデイラブ」での演技が話題に。昨年12月に発表した写真集「MM」は重版がかかるヒットとなり、順調に売れ行きを伸ばしている。
ラベル:松本まりか
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2021年02月07日

萩本欽一

かつて3つの冠番組の視聴率を足すと100%を超えたことから、「視聴率100%男」と呼ばれ、コメディアンとして芸能界の頂点に上りつめた萩本欽一(79)。しかし、半世紀にわたって連れ添い、彼を支え続けた妻の存在は知られていない。その最愛のパートナー・澄子さんが、半年前にがんで亡くなった。欽ちゃんは、妻の病、そして死にどう向き合ったのか──コラムニストの石原壮一郎氏が聞いた。

 ここ何年かは、スミちゃん(澄子さん)は骨折で何回か入院してたんだけど。お見舞いに行こうとすると「すぐ退院するから、来なくていい」って言うんだよね。

「もう東名に乗っちゃったよ。お見舞いの品を置いたら帰るよ」って言って強引に向かった。そしたら、近所に住んでて最後まで面倒を見てくれた義妹に、「すぐ来い」って連絡したみたい。なんだろうと思って駆けつけたら、「眉を描いてほしい」だって。入院するときは、まずお化粧道具を準備してたらしい。

 昔から、ぼくが家に帰ったときには、いつもお化粧してて、オシャレなんだなと思ってた。亡くなってから義妹が「義兄さんに会うために決まってるじゃない」って。ぼくの前ではお酒は一滴も飲まなかったけど、実際は好きだった。ぜんぜん知らなかったな。

 家にみんなが集まったときに、息子が「お父さんのどこが好きだったの?」って聞いたら、

「うーん、『好き』って思ったことはないわね」

 なんて言うから、ぼくが「じゃあ、なんで結婚してくれたんだよ」って問い詰めた。そしたら、ちょっと考えて、

「ファンだったのよ。今もずっとファンなの」

 そう言ってくれた。あれは嬉しかったな。

「ありがとうね」
 スミちゃんから初めて「ありがとう」って言葉を聞いたのも、4年前にがんがわかってからだった。

 ある日、ぼくが見舞いに行ったら、帰り際に「ありがとうね」って言ってくれた。ぼくは思わず大きな声で、

「スミちゃんから『ありがとう』って言ってもらっちゃった! 今日はとっても嬉しい日だなあ。バンザーイ!」

 そう言って、本当に両手をあげてバンザイしたんだよね。

 人間って、死を意識すると、素直になれるのかもしれない。「一生懸命」って言葉があるじゃない。命を懸けて一生を振り返って、初めて「ありがとう」って言葉が出てきたのかな。そう考えると、なおさら嬉しいな。

 本当に「ありがとう」を言わなきゃいけないのは、ぼくのほうだよね。でも、あらたまって言ったら、「私、もう長くないのかしら」なんて思わせちゃう。だから、なかなか言えなかった。

やっと言えたのは、彼女が亡くなる数日前だった。もう話せないし、意識があるかどうかもわからない。布団の中で手を握って、「スミちゃん、たいへんだったね」って言ったら、ギュッと握り返してきた。その次に、

「子どもたち、あいつらみんないい子だね。いい子に育ててくれて、ありがとうね」

 そう言ったら、さっきの何倍も強く握り返されて、目もちょっと滲んでるみたいに見えた。

 近くにいた義妹を呼んで「ほら、涙出てるよね」って聞いてみた。彼女も「そうね、泣いてるわね」って合わせてくれればいいのに、「うーん、出てると言えば出てるかなあ」なんて、冷静に言われちゃって。

 それが、ぼくとスミちゃんとの最後の会話です。ぼくの「ありがとう」は間に合ったのかな。きっと間に合ったよね。

死に顔は見ていない
 スミちゃんは、こうして旅立った。でも、最初に話したみたいに、ぼくはスミちゃんが「死んだ」という実感はまだない。

 葬儀は、身内だけのこぢんまりとしたものだった。ぼくは、火葬場でも祭壇のスミちゃんの写真にも、一度も手を合わせなかった。家にある仏壇にだって、一度もお線香をあげたことがない。だって、そんなことしたら、まるで死んじゃったみたいじゃない。

 恩人が亡くなったときも大切な仕事仲間が亡くなったときも、お葬式では手を合わせないことにしてる。「顔を見てやってください」って言われるけど、全部断わってきた。元気なときの顔だけ覚えておきたいからね。もちろん、スミちゃんの死に顔も見てません。まだ別れを言っていないんだから、ぼくの中では、スミちゃんは生きてます。

 スミちゃんについては、まだまだ知らないことだらけ。3人の子どもたちとも、それぞれ物語があるはずだし、義妹からも近所の友達からも、スミちゃんはどういう人だったのか、どんな毎日を過ごしていたのかを教えてもらいたい。

 今は、もう一回あらためてスミちゃんと出会ったみたいな気持ちになってる。未知の部分を知るのが楽しみ。「遺される」っていうと寂しい響きだけど、思いがけない特典が付いてきちゃった。

【インタビュー・構成】
石原壮一郎(いしはら・そういちろう)/1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」「恥をかかない コミュマスター養成ドリル」など著書多数。

※週刊ポスト2021年2月12日号
ラベル:萩本欽一
posted by かーくん at 08:24| 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする