2019年03月14日

菊地亜美 小島瑠璃子

「結果にコミット」でお馴染みのRIZAP(ライザップ)。テレビCMのインパクトは絶大で、ダイエット前後の身体の変化を分かりやすく表現している。昨年放送されていた、女優・佐藤仁美さんのCMを覚えている人も多いはず。佐藤さんは3カ月で12.2キロ減量、くびれくっきりの美ボディをよみがえらせることに成功している。

次は誰がライザップするのか? と思っていたら、ライザップの公式Twitterがタレントの菊地亜美さんの動画を公開した。それを見た小島瑠璃子さんが、とても的確なツッコミを入れている。言われるとたしかにそうだ。

・下っ腹が……

公開された動画を見ると、これまでCMに出演してきた人たちと同じように、菊地さんもダイエットに成功していることが分かる。無事に結果にコミットできているのだが、ひとつ気になることがある。それはビフォーだ。

太っている印象のない菊地さんだが、おなかまわりの弛みが目立つ。とくに、へそから下のいわゆる “下っ腹” は、「ビール飲み過ぎ?」と思わざるを得ない。その後、いつものCMと同じく劇的に減量した姿を確認できるが、あのビフォーが目に焼き付いてしまう。

・小島さんのつぶやき

この動画を見た小島さんは一言、Twitterでこうつぶやいている。

「太ってるとこのほうが長くない? 痩せたほうを長くみたいなー」(小島瑠璃子Twitterより)

そうだ! 太っている時の映像の方がやや長めの尺なので、どうしても痩せた方が頭に入ってこない。ビフォーの映像でニコニコしながらおなかを揺さぶる菊地さんは、「これだけ弛んでました」とアピールしているように見える。

一方アフターでは、キメ顔でクールにしている。カッコよくはなったが、弛んでた方がにこやかで楽しそうに見えるのは気のせいか。もう少し、アフターが印象に残るようにビフォーの映像を短めにした方が良かったかも?
posted by かーくん at 15:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月13日

酒井法子

歌手で女優の酒井法子が3月27日放送のテレビ東京系『THE カラオケ★バトル またやっちゃう?あの大ヒット曲、ご本人は何点出せるのか SP』(後6:55)に出演する。同番組で、酒井は11年ぶりの地上波テレビ歌唱として代表曲「碧いうさぎ」を披露。収録後、囲み取材に参加した酒井は「頭真っ白になっちゃいました。気がついたら終わってました…」とあっという間の歌唱時間を振り返ったそうです

 同番組は誰もが口ずさめる大ヒット曲を本人が歌い、国民の平均点とマシン採点勝負するというもの。しかし「番組の趣旨をよくわかってなかった」という酒井はスタジオでも「これ、戦いなんですか?」とマイペースぶりを発揮。司会の堺正章らをずっこけさせつつも、「得点のバーを見る暇もなく、『ああ、歌わせていただけているんだ』という実感、ありがたい気持ちでした」と久々のテレビ歌唱に感謝した。

 一方、実は緊張で汗をにじませていたようで「ありがたいことに歌の仕事はずっと続けさせていただいているので、いつもどおりみなさんが聞いてくださるところを想像しながら。いつもと一緒、と念仏のように唱えながら…」となんとか歌いきったよう。「得点を狙うというよりみなさんと歌わせていただけることが何よりうれしかったことですし、大きな意味を持つことなんじゃないか。心を込めて、楽しく見ていただけるようにできたらいいなと。共演者のみなさんもあたたかく、とっても楽しい時間でした」と微笑んだ。

 1995年に発売された「碧いうさぎ」は酒井主演の連続ドラマ『星の金貨』主題歌で自身最大のヒット曲。「自分のコンサートやディナーショーでもはずすことはできない。歌うとお客さんも『聞きたかった』と言ってくださる、なくてはならない曲」と特別な想いを持つ。

 しかし「ずっと歌っている曲ではあるんですけどAメロが難しく歌いなれると崩れてきてしまう」と苦戦する部分もあるようで、コツを聞かれると「なんだろ〜…私も知りたい」と苦笑し、「実は(出演者の一人である)相川(七瀬)さんもカバーしてくださってるんです。ロックな感じでかっこいい。相川さんに聞いてもらっていいですか」とお茶目に返していた。

 4時間スペシャルで送る今回、酒井、相川のほか、イモ欽トリオによる「ハイスクールララバイ」(1981)や堀内孝雄による「キミの瞳は10000ボルト」(1978)などバラエティー豊かな面々が顔をそろえる。
ラベル:酒井法子
posted by かーくん at 11:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月12日

村本大輔

ウーマンラッシュアワーの村本大輔さん(38)は、2月、東京電力福島第一原発事故で避難指示が出た福島県浪江町についてツイッターで「町がなくなる」と発言し炎上しました。福島に勤務して1年、炎上の現場に居合わせることになった私は、村本さんから「浪江町を案内してほしい」と頼まれました。発言の真意は何だったのか。車中で村本さんから質問攻めにあったあの日を思い出しながら考えてみたそうです(朝日新聞記者・小手川太朗)

「返事が来るわけないよな」と思いながらメッセ
「福島の浪江町で21時以降の遅くまで空いてる飲み屋さんありますか?(中略)自分の町がなくなることへの話が聞きたい」。

2月12日未明、村本さんは自身のツイッターにこう書き込みました。この発言に対し、「住んでいる人に失礼」などの書き込みが相次ぎ、村本さんは15日、「思いやりのない言葉を使ってしまった」などと謝罪。スポーツ紙やネットメディアなども取り上げる炎上騒ぎとなりました。

村本さんが問題のツイートをした12日午前1時すぎ、自宅で夜更かししていたところ、偶然、このツイートを目にしました。「返事が来るわけないよな」と思いながらも、深夜のテンションで「浪江駅のそばにある『いふ』、おすすめです」と私用のインスタグラムでメッセージを送りました。

「若者、待ってた。座って座って」
12日の昼過ぎ、何げなくインスタグラムを開くと、「いふで19時から飲みます」と返信が。思わぬ展開になり、浪江町に行くことにしました。

浪江町までは、会社がある福島市から車で約1時間半。午後8時過ぎ、浪江町に到着しました。JR浪江駅周辺は一戸建て住宅が並んでいますが、明かりがついているのは半分以下でしょうか。道路は暗く、見上げるときれいな星空が広がっています。

駅前の居酒屋「いふ」からは、外まで笑い声が聞こえてきました。扉を開けると、約20人が入れる店はすでに満席近く。

「若者、待ってた。座って座って」。奥の座敷で、10人ほどの団体の真ん中に座っていた村本さんが振り向き、声をかけてくれました。

席に着くと、酒を飲みながら議論の真っ最中。議題は「いま浪江について思うこと」。村本さんはフジテレビ系の「THE MANZAI」で早口でキレッキレのボケを連発していたテレビの中の姿そのままで、自分がなぜ福島に来たかを語っていました。

「僕はね、福井県おおい町出身です。原発の町で、浪江の問題は近い将来のうちの町かもしれない。ほんとはマカオに行って遊ぶ予定やったのをやめて来たんです」

村本さんが来ると知って来た人が半分、偶然居合わせた人が半分といったところでしょうか。みなが順番に震災の時どうやって避難したか、自分が今どういう生活をしているか、原発についてどう思うかなどを話しました。

生まれも育ちも浪江町だという50代の男性は「町がなくなるっていう言葉は気にくわない。俺はじいさんの代からこの町に住んでんだ。帰りたくたって帰れない人もいるけど、この町をなくすことはできないんだ」。村本さんは「僕はここに来るまで浪江について何も知らなかった。浪江の人たちの目を見て話して、何に対して怒り、何に対して悲しんでるか分かった」と答えました。

ある男性は村本さんにこう話しました。「村本さんが浪江を目で見て、都会に帰ってそれを発信してくれるのが俺らは一番うれしい。ぜひ浪江を見て行ってほしい」

2時間ほど話した後、帰り際、村本さんから頼まれました。

「明日、浪江町について教えてほしい」

「なぜ、浪江に来たんですか?」
翌日午前9時、村本さんを宿まで約束通り車で迎えに行きました。2018年4月に全校生徒10人で開校したなみえ創成小学校・中学校を訪問することに。アポなしでしたが、学校は快く受け入れてくれました。

子どもたちは授業中で、「吉本の芸人だよ」と話しかけても、ぽかんとした顔で見つめる子ども。「最近俺、テレビに出てないから」と村本さんは苦笑い。20代くらいの女性教員だけがびっくりした表情で村本さんを見つめていました。

小学校の訪問後、村本さんを福島駅まで送るため、山あいの国道114号を車で走りました。原発事故の発生直後、この細い一本道が避難する浪江町民で大渋滞になったそうです。

約1時間半、車内で村本さんの質問攻めに遭いました。「福島の米って食べても大丈夫?」「聖火リレーはどこを走るの?」「避難指示っていまどうなっているの?」

私も村本さんに一番の疑問をぶつけました。「なぜ富岡でも南相馬でもなく、浪江に来たんですか?」

「特に理由はないんだよね。『浪江』って地名はよく耳にしていたし、原発事故の被害が大きい町って言うイメージがあったから」

途中、原発事故で帰還困難区域のままの浪江町津島地区を通りました。村本さんは車の中から鉄格子で封鎖された道路の向こう側の町を眺め、「ここに町があったのか」と小さな声でつぶやきました。

福島駅で別れ、村本さんは新幹線で東京に帰りました。いまも村本さんから「汚染水について教えてほしい」といった内容の連絡が時々あります。あの日以来、福島のことを必死に知ろうと努力しているようです。

福島を直接、見てほしい
村本さんの発言を、どう受け止めるべきなのか。あらためて考えてみました。

私は昨年4月に名古屋から福島に赴任しました。恥ずかしい話ですが、それまで福島がどういう状況か、住民が今どういう思いで暮らしているのかほとんど知りませんでした。

赴任して1年間、取材や飲み屋で多くの福島の人に会い、福島の人たちが地元に対して抱く思いを知りました。家を再建して帰った人、様々な事情で帰れない人。全員に共通するのは「ふるさとが好きだ」という思いでした。

「町がなくなる」という表現は、以前の私でも悪気なく使っていたかも知れません。私や村本さんを含め、福島の外に住む多くの人たちが原発被災地に対して抱く感覚そのものなのではと思います。

今回、村本さんも足を運んで暮らしている人たちの思いを聞くことで、「町がなくなる」という発言の深刻さに気づいたのではないでしょうか。

「福島の話を漫才でする以上、ネットや本で知った話はしたくなかった。無責任なことは伝えられないから」。村本さんは車内でそう言いました。

一人でも多くの人が福島を訪れ、福島の現状を直接目で見てほしい。震災から8年。かつての自分を振り返りながら、今、そう思っています。
ラベル:村本大輔
posted by かーくん at 13:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする