2019年02月28日

柳楽優弥

14歳でカンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受賞してから、15年。悩み抜いた10代を経て、20代はアルバイトや芝居の現場でもまれ、俳優としての土台を築いた。20歳で娘が生まれて、「しっかりしなきゃ」と一念発起したという。「僕は僕なりに頑張るしかない」。自身を不器用だと語る柳楽の奮闘に迫ったそうです



結婚して本当に良かった

柳楽優弥、28歳。20歳の時に生まれた娘が8歳になった。

「若いうちに生まれて、もちろん大変な時期もありましたけど、僕は子どもが好きだから、やっぱりうれしかったですね。妻(タレントの豊田エリー)が仕事に行っている最中は、僕が見て。夫婦で交代交代でやってます。3、4歳のころは、地方ロケに1カ月行って、ヒゲを生やして帰ってきたら、(娘には自分が)誰だか分かんなくなってたりしましたね」

高校の一つ上の先輩だった豊田にプロポーズしたのは、17歳の時だ。

「全く迷いがなかったんです。自分が法律でまだ結婚できない年齢だとは知らなかった。昔の武士とか早いっていうじゃないですか。結婚したのは、19の時です。僕は仕事にかなり悩んでた時期だったし、よく結婚したなって思いますけど。妻も、肝っ玉据わってるな、と。でも、あの時結婚して本当に良かったです」



妻も娘も映画が好きで、家族でよく映画を見て過ごしているという。

「子ども向けのものが多くはなりますけど、けっこう何でも見ますね。子どもがどこを面白いと思うのかって、興味深くて。シリアスなシーンで、『なんで悩んでるの?』とかストレートに聞かれます。『なんでだろう』って答えるんですけど(笑)。僕の出たものも見てくれてます。『ゆとりですがなにか』(2016年のドラマ)とか面白いって言ってましたね」



漫画やアニメも大好き。中でも、家族そろってドラえもんの大ファンで、毎年映画館に見にいく。昨年、3人で「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」に遊びにいっていた時、マネージャーからのメールで、『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の声優のオファーを知った。

「『ドラえもんと話せるのか!』と。でも、声優は17歳くらいの時に一度やったくらいで、本格的にやるのは今回が初めて。実写だと自分の体があって、そこに一つの道具として声や台詞があるわけですが、アニメーションに僕の声を重ねるっていうのはどうやったらいいのか、分からなくて。声を録っている時、20人くらいの人が聞いているんですけど、僕だけ一人焦り始めて……」



昨年12月に行われたアフレコの様子 c 藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2019

うまくいかず、予定していた収録時間が過ぎ、日を改めて録り直すことになった。次の収録日、柳楽は身ぶり手ぶりを入れて、時に倒れ込んだりしながら、汗だくになって熱演した。

「他の人がどういうふうにやるのか、分からないんですけど。倒れ込みながら、『あああ!』とか、アクションを付けながらやっちゃいました。最初は体を動かさないで録っていてうまくいかなかった。これはもう動くしかないなと思ってやり始めたら、監督が『動かしたほうがいいですね』って言ってくださって。そこからは徐々に楽しくなって、気分的には何十時間あっても録り足りないな、というくらいでした」



柳楽は、自身を不器用だという。

「器用になれるドリンクがあったら飲みたいんですけどね。本当、『ドラえもん、ください!』っていう感じです。何でも器用にできちゃう人、憧れますけど、僕は僕なりに頑張るしかないから。それでも20代前半に比べたら、落ち着いてきたと思います」

アルバイト生活が土台を作った


柳楽のデビューは鮮烈だった。中学生の時に是枝裕和監督の『誰も知らない』(2004年)に出演し、14歳でカンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受賞した。史上最年少、日本人初の快挙だ。柳楽にとって、初めてのオーディションが『誰も知らない』だった。普通の中学生が、いきなりカンヌ国際映画祭のカーペットを歩いた。

「同じクラスの女の子が昼ドラに出てて。それを休みの日に友だち5人くらいで見てたんです。みんながうれしくて笑うじゃないですか。僕もこんなふうに笑わせたいなと。そう思って事務所に履歴書を送ったので、最初はむしろお笑いとかやりたかったんです。そしたらだいぶ違う方向になった」

『誰も知らない』で演じたのは、母親に育児放棄された子どもだった。

「台本ももらってなくて。今思うと、ちょっと変わった演出の作品で。演技をしていたわけではないですから。土台がないスタートでした」



受賞後、国内で主演作が続くものの、「芝居の土台がなかった」柳楽は、次第に葛藤を抱えるようになる。ストレスで1日8食も食べるようになり、一時は30キロ近く太った。「16歳から22歳くらいまでは、戻りたくないな、と思う時期」とも振り返る。

「どうしても過去(『誰も知らない』)と比較されてしまうし。それをしっかり受け入れて活動することができたらよかったんですが」

子どもも生まれた柳楽は、一念発起してアルバイトを始めた。

「僕、Wikipediaを見るのが好きで。先輩俳優の歩んできた道を見ると、俳優以外の仕事をしていたり、アルバイトをしていたり。そこに憧れたんです。結婚して、しっかりしなきゃと思ったし、とにかくレベルアップしたかった」



自動車ディーラーで洗車や磨きの仕事、居酒屋で接客の仕事をした。

「バイト長になって、年上の後輩に指示を出したりとかして、新鮮でしたね。飲食店は、メニューを覚えられなくてあんまり向いてなかったですけど。名札を付けていたので僕だと気付かれることもありましたが、その時そんなに表立った活動があったわけじゃなかったので。それじゃダメなんですけど。気付かれると『よく知ってますね』みたいな感じで、逆にうれしかったです」

「俳優、やめようと思えばやめられたと思うけど、どうしてもまだやりたいと思った。このまま終わるのも嫌だな、と。自分の中でしっくりくるまで、土台作りがしたかった。『よし、これでバイトする役柄が来たら俺はパーフェクトだ』って思いながらやってたんで、けっこう前向きでしたね」



「一回お前、川の中でAKB歌ってこい」
転機の一つが、2012年、故・蜷川幸雄演出の舞台『海辺のカフカ』の主演に抜擢されたことだ。22歳の時だった。

「どうしても演技がうまくなりたいと思っていた時に、厳しい演出を受けられたのは本当にラッキーでした。『挨拶しろよ』とか基本的なマナーについてよく言われた気がします。芝居については、いろいろ言われ過ぎて……。映画のトーンで話してると『聞こえねえよ』とか。ゲネプロが急遽中止になったんです。何かがダメだった。そこに大きく僕が絡んでると思うんですけど……。でも初日はもちろん来るわけで。初日が終わった後、『華々しい初日だったね』って言ってもらったのがすごく印象に残ってます」



『海辺のカフカ』の後、映画『許されざる者』の現場へ。指導が厳しいことで知られる李相日監督の作品だ。アルバイト生活の最中に受けたオーディションだった。

「必死だったんで、オーディションで『これ受かるんですか?』と監督に聞いて、怒られました。李監督の現場は若手が鍛えられることで有名だったので、絶対に出たかった」

北海道でオールロケが敢行された。「そこにいられるだけでラッキー」と思っていたが、厳しい現場で「死ぬかなと思った」という。

「今度は『発声が良すぎる』って、舞台っぽい台詞回しが嫌がられたんです。もう、どれが正解なのか分からなくなりました。あと、『自分をもっとさらけ出したほうがいい』ということになって、『一回お前、川の中でAKB歌ってこい』と。冷たい川に入って、スタッフ全員の前で『I want you!』って歌って。いろいろ本当、思い出しただけで怖いです。でもその映画が終わった後も、何かあると李監督に相談してますね」

品のある俳優になりたい


アルバイト生活、厳しい演技指導でもまれた柳楽に、また一つ転機が訪れる。ドラマ『アオイホノオ』(2014年)に主演し、初めてコメディーに挑戦した。柳楽が演じたのは、「漫画家になる!」と闘志を燃やす熱血芸大生・焔モユルだ。

「福田(雄一)監督が、僕のWikipediaを読んで、『こいつはいける』って思ったそうなんです。救われたというか、そういう面を発見してくれたことがうれしかった。元々人を笑わせたくてこの仕事を始めたので、コメディーの現場は自分らしくいられるなとも思います」

心に葛藤を抱える若者を少年時代から多く演じてきたが、この作品を機に役柄の幅が広がった。NHK連続テレビ小説『まれ』、ドラマ『ゆとりですがなにか』、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』、映画『ディストラクション・ベイビーズ』『銀魂』など、かつての迷いが晴れたかのように、多様な作品で好演を重ねる。





「主役とか脇役とか関係なく、いただいた役に一生懸命向き合いたいというのは、昔から変わらないです。いろんな役柄を演じるなかで自分らしさもきっと出てくると思うので、それを大切にしていきたい。今やってみたいと思っているのは、スーパーヒーローですけど」

「品のある俳優になりたい」とも言う。

「柄本明さんとか、役所広司さんとか、大好きで。日本の俳優の品格みたいなものにすごく憧れます。そういう人に少しでも近付けたらいいなって」



2019年1月、映画『夜明け』に主演。是枝の監督助手だった広瀬奈々子が、初めてメガホンを取った作品だ。是枝作品で助監督を務めた兼重淳による映画『泣くな赤鬼』にも出演、6月に公開を控えている。柳楽にとっては、自身の原点を思い返す機会にもなった。

「是枝さんから『よろしくね』ってメールをいただきました。自分のところにいた人たちが優弥を使うのはうれしいって言ってくれます」

14歳での受賞から15年。家庭を築き、俳優の土台を作り、時間をかけて実力を証明してきた。今、もがいた半生を振り返ってこう言う。

「カンヌに負けないくらい貪欲だったんで。こういう作品に出てみたいとか、こういう俳優さんになりたいとか、目標は絶えずある。満足したら終わりです。不器用だから、一生懸命やろうと思います」

ラベル:柳楽優弥
posted by かーくん at 13:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする